こだわり通信
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第130号〜
第120号〜
忙しい時こそ心に余裕を持とう!
200612.21

【今月号の目次】
“KODAWARI”の良店紹介新宿三丁目にある「Claudia」
日本にビールがやってきた。
忙しい時こそ心に余裕を持とう!
柴田屋酒店 社員紹介

  皆さま、こんにちは。新宿や六本木など街がイルミネーションで着飾られてきました、いよいよ皆さま方にとっても私共にとっても最繁忙期といえる12月です。
 11月の半ばくらいまで比較的温暖な気候だったと思いますが、ここ最近めっきり冷え込んできました。本格的に冬が迫ってきたなあという感じです。この時期、人の行き来がなんとなくせわしなかったり、外出先でクリスマスイブ(山下達郎のです)やジングルベル、そりすべりなどのクリスマスや雪に関わる曲が聞こえてきたり、ベートーヴェンの合唱、いわゆる第9交響曲がテレビで放映されたり(一万人の第9という番組など)して、私はいかにも師走、年末の雰囲気だなあと強く思うのです。

 そして、テレビで「今年一年を振り返って」みたいな番組が放映されだすと、なぜだか思索にふけったり、長大でなにかを考えたくなるような曲を聴きたくなったり(音楽の話ばかりですいません)するのです。ふだんは考えないようなことを、独特のあの年末の雰囲気がそうさせるのだと私は考えています。
  来年もよろしくお願い致します。

柴田屋酒店  阿部貴司

“KODAWARI”の良店紹介
「Claudia」 

 第2回目は新宿三丁目にある「Claudia」さんを紹介したいと思います。2004年5月5日にオープンしました。

今回取材しました店長の松山さんにお願いしたところ怒涛のごとくお店のこだわりをたっくさん語っていただきましたので、その中の一部ですがご紹介させていただきます。

【こだわりのメニュー構成】
Claudia メニュー構成は2部に分かれていて、イタリア料理を期待してきたお客様に応えるスタンダードなメニューと、ワインも含め約3週間で入れ替わる期間限定のメニューに分かれています。
  3週間という短い期間でのメニュー変更は常連様をも飽きさせないのです。そしてそのメニュー作りも従業員全員で各々考えてきたメニューをプレゼンして決めています。

自分の力を発揮する場があるということは、従業員のモチベーションは上がり、原価や素材のことを自分で勉強したり、地域のお客様の嗜好を考えたりと向上心が出てきます。

【サービス面でのこだわり】
 サービスサイドでは新宿三丁目の立地にいらっしゃる特徴あるお客様のお気に入りの店にしてもらうために、“お客様との距離を1歩縮める”ことに努力しています。

 内容としましては、サービススタッフのお客様に与える影響は大きいと考えている松山店長は、各々のスタッフの能力を最大限に生かしていただくように、テーブル担当制を取り入れています。商品の説明から、お見送り、お客様の嗜好まで担当するのです。お店にはお客様の召し上がった料理、特徴などを記載した顧客帳があり、スタッフ全員が目を通せるように1冊にまとめて保存しています。

 又、手作りのホームページやブログ、情報誌「月刊クラウディア」、お客様同士の情報交換の場として、ミクシィなどを取り入れてお客様からもお店への距離感を縮めていただこうと考えています。

ホームページはこちらです〜「Claudia」

もし、ご興味があれば是非お立ち寄り下さい。皆さん、楽しくがんばっていますよ!
日本にビールがやってきた。 

【国産ビール発祥の地は横浜】

 日本に初めてビール醸造所がつくられたのは明治初期の横浜・山手でした。
なかでも明治3年に、アメリカ人、ウィリアム・コープランドが横浜・山手の天沼に開いたスプリングバレー・ブルワリー製のビールは、横浜在留の外国人たちに評判を得て、東京や長崎など他の都市にも出荷されるようになり、やがて日本人にも飲まれるようになりました。
  明治14年には、日本人の口に合うようにつくられたビールが発売されています。コープランドの醸造所の土地と建物はその後ジャパン・ブルワリーに引き継がれ、明治21年、「キリンビール」が発売されました。

【なで肩ビールびんの歴史】

麒麟麦酒 日本でビールが飲まれるようになった頃、ビールは樽詰めとびん詰めで売られていましたが、ガラスびんは外国製で貴重だったため、びん詰めビールは大変高価なものでした。 「キリンビール」も明治21年の発売当初はドイツ製のびんを使っていましたが、発売の翌年から国産のビールびんも使用するようになりました。初期のキリンビールのびんはややずんぐりした形でしたが、現在とほぼ同じ形のなで肩びんが大正時代頃に完成しました。また、同じ頃に王冠栓が採用されるまでは、ワインと同様コルクで栓をしていました。

【高級酒から庶民の飲み物へ】

 「キリンビール」発売の頃のビールは庶民にとっては高嶺の花でした。特にびんビールは非常に高価で、一般家庭の晩酌で飲まれることはほとんどありませんでした。

 その後ビールは、大正時代から昭和初期にかけて都市部のカフェーやビアホールで飲まれるようになり、戦争の混乱期を経て、戦後、冷蔵庫の普及とともに庶民ののどを潤す大衆の嗜好品となったのです。

掲載にご協力いただきましたキリンビール株式会社様、ありがとうございました。

忙しい時こそ心に余裕を持とう!

みなさん、こんにちは。気がつけばもう12月。今年も残すところあと1ケ月。

みなさんにとっての2006年はどんな年だったのでしょうか?

私にとっては深い学びとネットワークの広がりを感じる1年でした。

 

さて、12月は飲食店のみなさんにとって一年で最も重要な月と言っても過言ではないでしょう。

たくさんのお客様が忘年会にクリスマス会にみなさんのお店を訪れる時。

みなさんの視点から言えば最も忙しい時期。

忙しいという言葉が私は嫌いです。『心』を『亡くす』と書くから・・・・。

どんなに忙しくても心のこもった対応をお客様にするためにどんなことを心がければよいのでしょうか?

 

私の叔母はケーキ屋を営んでいます。なのでクリスマスは一年で最も忙しい時。私も何十年も手伝いに行ってます。昨年の私の役割はイチゴ切りと最後のデコレート、箱に詰める役。

のはずだったのが気がつけば、在庫管理は求められるし、洗い物も次から次へ・・・・

販売からは『あと、何がいくつあるの?』『ご予約のお客様のケーキはどこ?』など次から次へと質問がくるし、ケーキ職人の叔父からは『次はこれとこれ、あとあれはどうなってる?』と仕事の指示がとんできました。

前の私だったらイライラして『こんなにいっぺんにいろいろ言うな!』って怒鳴っていたでしょう。だけど不思議と去年はタンタンと仕事をこなしている私がいました。何が今までの私と違うのか?

 

・相手の言うことはしっかり聴くけどそこに振り回されていない。

・全体を見渡す中で状況判断を行い、何が店にとって今一番重要なのか?の優先順位を考えている。

・そして何より、ちゃんと呼吸をして自分の軸をしっかり持っていること でした。

何か言ってくる人にとっては自分が言ったことが1番なんですよね。だけど私にとっての一番の優先順位は何か?お店を見渡して今どんな状態になっているか?という立ち位置で考えてみる。すると不思議なくらいイライラもないし、今、何をすべきかがはっきり見えてくる。その時間ってほんの数秒なんですよね。その数秒の時間をとる余裕を持つだけで自分自身がラクに楽しく仕事ができる。

その数秒をとるのが難しいと感じているみなさん、是非、自分のイライラやパニックに気づいた時に深呼吸をしてみてください。1回深呼吸をするだけで自分が落ち着いて視野が広くなっていくのを感じられると思います。ダマされたと思って試してください。

 

忙しい時こそお客様に余裕を持って笑顔で対応していくこと。

これっていつもと同じ対応をしていてもお客様からの印象は格段良く見えているものなのです。

Co-ActiveCoach 小暮 裕美子

柴田屋酒店 社員紹介

 12月生まれの社員を紹介していきます。

物流サポート課 松本 修一
入社1年目の松本です。今配達している中心エリアは六本木、銀座です。あまりお客様には会わないコースですけどお客様に会う時は笑顔で元気良く配達したいと思っています。まだまだ不慣れですけど頑張ります。

物流サポート課 山口 由樹
こんにちは配送の山口です。主にワインを配達しています。入社して1年がたちましたがまだまだ知らないことがありますので、先輩方に色々教わってこれからも頑張っていきたいと思います。

物流サポート課 和田 雄史
こんにちは早いもので柴田屋に働かせていただいて1年以上がたちました。入社当初は主に恵比寿、西麻布を配達していましたが10月から歌舞伎町のコースに移動をしました。まだまだ未熟者ですが会社全員の力を借りて頑張っています。これからも日々努力しますので宜しくお願いします。

管理サポート課 福村 英里
今月で入社して9ヶ月目になります。経理事務を担当しています。周りからは、運動嫌いに見える様ですが、趣味はバレーボールです。今年の3月に大学を卒業したばかりの社会人1年生のため、全ての面で只今勉強中です。まだまだ至らない点ばかりですが、日々成長していこうと努力していますので、どうぞ宜しくお願い致します。

管理サポート課 渡部 祐一
柴田屋に勤めて1年がたちました。まだまだ学ぶべきことが、多くあり日々努力しています。仕事の大小に関係なく厳しく積極的に取り組みたいと思います。宜しくお願いします。

今回12月誕生日月の5人はなんと平均年齢が22歳という驚きの数字が・・・・・・・

これからの柴田屋を若さあふれるパワーで引っ張っていく5人なのではないでしょうか。

これからの仕事に注目していきましょう。

サポート課  松永

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